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大阪高等裁判所 平成8年(う)944号 判決 1997年5月21日

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人佐藤健二作成の控訴趣意書に記載されているとおりであるから、これを引用する。

一  控訴趣意中、理由齟齬の主張について

論旨は、要するに、原判決が「争点に対する判断」の項において、平成六年法律第四号による改正前の政治資金規正法(以下「旧政治資金規正法」という。)二五条一項所定の収支報告書の虚偽記入罪は身分犯でないと説示しながら、「法令の適用」の項において、同法一二条一項をも適用したのは理由相互間に齟齬がある、というのである。

しかしながら、同法二五条一項は、その構成要件の内容として同法一二条一項を引用しているのであるから、同法二五条一項が身分犯であるか否かを問わず、同法一二条一項を適用するのは当然である。そして、同法二五条一項所定の収支報告書の虚偽記入罪を身分犯と解すべきでないことは後記のとおりであるから、同旨の見解の下に、同法二五条一項、一二条一項のほか、平成七年法律第九一号による改正前の刑法(以下「旧刑法」という。)六〇条のみを適用し、同法六五条一項を適用しなかった原判決の適条は正当であり、所論のような理由齟齬の違法はない。論旨は理由がない。

二  控訴趣意中、訴訟手続きの法令違反の主張について

論旨は、要するに、原審裁判長裁判官及び同左陪席裁判官は、本件共犯者の審判に関与し、「名義上の会計責任者」なる独自の概念を定立していた上、原審裁判長裁判官は、原審弁護人申請の鑑定証人の採否を留保して、被告人質問を強行しようとしたものであり、両裁判官には、本件につき不公平な裁判をするおそれがあったから、両裁判官に対する忌避申立てを簡易却下した原審の訴訟手続きには、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違反がある、というのである。

しかしながら、記録を調査して検討すると、原審弁護人は、右簡易却下決定に対し、所論指摘の諸点を理由とする即時抗告を申し立て、これが棄却されている上、右忌避申立ての理由とするところは、裁判官が他事件の法律問題につき一定の見解を示していること、共犯者の審判に関与したことのほか、訴訟手続内における審理の方法、態度等に関するものであり、これが訴訟遅延のみを目的としたものであることは明らかであるから、刑訴法二四条により、これを簡易却下した原審の決定に何ら違法、不当はない。

その他、所論にかんがみ、記録を精査検討しても、原判決に訴訟手続きの法令違反はない。論旨は理由がない。

三  控訴趣意中、事実誤認の主張について

論旨は、原判示の共謀の具体的な日時、場所、内容が厳格な証明によって認定されておらず(最高裁判所大法廷判決昭和三三年五月二八日・刑集一二巻八号一七一八頁)、共謀の証明も不十分であり(最高裁判所決定昭和五二年八月九日・判例時報八六四号二二頁)、また、被告人には、本件政治団体の平成五年分の実際の収入額が五四六九万九五八八円であるとの認識がなかったから、右共謀及び認識の存在を認めた原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認がある、というのである。

しかしながら、記録を調査して検討しても、原判決には所論のような事実誤認はない。その理由は、原判決が「争点に対する判断」の項の二で正当に説示するとおりである。

すなわち、原判決が挙示するA及びBの各検察官調書(謄本を含む。)の内容は、その共謀の日時にある程度幅があるとはいえ、共謀の時期、場所、内容ともに十分具体的かつ詳細なものである上、核心的な部分で相互に補強し合っていること、共謀の内容が、収支報告書に記載すべき収入総額の点に集中し、その内訳となる支出総額及び繰越金額については必ずしも判然としてはいないが、関係者間では、通帳に入金されていた七四四万円が繰越金額であり、圧縮する収入総額から右繰越金額を控除した残額が支出総額になることは自明のことであった上、本件虚偽記入の動機が、本件政治団体の実際の収入の一部を領収書の取れない支払等に利用するとともに、多額の寄附金を集めた事実を秘匿するためであったことからすると、その共謀内容が全体としての収入総額をどの程度圧縮するかの点に集中していたとしても不自然とはいえないこと、平成五年末にCが被告人に七四四万円を新規口座に入金しておくように指示したとはいえ、その時点では、未だ収支報告書の収入総額欄等に記載すべき圧縮額の具体的内容は確定しておらず、その後も謀議の必要があったことなどに照らすと、共謀に関するA及びBの各検察官調書の内容は、共謀の時期の点を含め、その信用性は高いというべきである。これに対し、被告人の関与をあいまいに若しくは否定的に述べるA及びBの同人ら自身の各被告事件及び原審における各公判供述は、被告人と同人らとの地位、身分関係等に照らして、いずれも容易に信用できず、謀議当時の秘書課の応接セットの数に関するA及びBの記憶の誤りについても、そのことから直ちに核心的な部分で信用性の高いA及びBの各検察官調書の内容に疑問を生じさせるものではない。右両者の各検察官調書に原判決挙示のその余の関係証拠を総合すれば、原判示の共謀があったことを優に認定することができる。

そして、原判決は、「争点に対する判断」の項の二の4において、本件共謀の日時に関し、平成六年二月中、下旬とある程度幅のある認定をしているとはいえ、右に説示したとおり、本件共謀の存在及びそのおおよその時期につき合理的な疑いを差し挟む余地がなく、しかも、原判決が「犯罪事実」の項で摘示する共謀の事実は、その他実行行為に関する摘示とも相まって具体的に特定されているというべきである。原判決の事実認定に所論引用の判例違反はない。

次に、故意については、原判決が摘示する本件政治団体に対する寄附金の受入口座の被告人による開設、通帳及び印鑑の保管、入出金、解約に関する各状況、実際の収入総額六七三七万九五八八円(うち五四六九万九五八八円が寄附金振込人の裏付けが取れたもの。)の存在、被告人による本件収支報告書への収入総額の圧縮記入状況、寄附金の受入全口座の解約金合計額二一六九万九七七〇円と本件収支報告書に記載された繰越金額七四四万二〇〇四円との不均衡に対する被告人の認識状況、根拠不明の繰越金額七四四万円を前提として、これと領収書による支出総額を合計したものを収入総額とするという本件収支報告書の原稿作成手順の不自然、不合理性、本件収支報告書の清書の際、原稿上の収入総額が二九九二万七九七六円となっていたのを二九九三万円とした端数等の訂正状況、本件収支報告書の圧縮記入の認識に関する被告人の捜査段階及び原審公判における自認状況等に照らすと、本件政治団体の平成五年分の実際の収入額が五四六九万九五八八円以上であるとの認識があった点を含め、被告人に本件虚偽記入の確定的故意があったことは明らかである。

その他、所論にかんがみ、記録を精査検討しても、原判決に事実誤認はない。論旨は理由がない。

四  控訴趣意中、法令適用の誤りの主張について

1  論旨は、本件虚偽記入罪は、会計責任者による身分犯であるから、その身分のない被告人に旧刑法六五条一項を適用しないで正犯とすることはできない、というのである。

そこで、検討すると、旧政治資金規正法は、政治団体の政治活動を国民の不断の監視と批判の下に置き、その公明と公正を確保するため(同法一条)、会計責任者に、当該政治団体のその年の収入、支出等を記載した収支報告書の提出義務(同法一二条一項)を定め、その義務の履行を確保するため、提出義務違反罪(同法二五条一項前段)及び記載義務違反罪(同項中段)を設けているところ、これらの罪が、いずれも右各義務を課せられた会計責任者でないと犯すことのできない身分犯であることは文理上明らかというべきである。これに対し、収支報告書の虚偽記入罪(同項後段)は、右各義務違反罪とは異なり、文理上会計責任者に対する作為義務の存在を前提としていない上、収支報告書の虚偽記入が何人によって犯されたとしても、これが提出されて公開されることになると、当該政治団体の政治活動に対する国民の監視と批判を誤らせ、同法の前記制定趣旨を没却する事態を生じさせるおそれがあること、現行政治資金規正法二五条一項三号は、収支報告書の虚偽記入罪を非身分犯の形式で規定するに至っているが、右改正は、旧政治資金規正法二五条一項も同趣旨であったことを明確化したものと解されることなどに照らすと、旧政治資金規正法二五条一項所定の虚偽記入罪は、身分犯ではないと解すべきである。被告人の本件犯行に旧刑法六五条一項を適用しなかった原判決の適条は正当である。

2  次に、論旨は、本件収支報告書は、旧政治資金規正法二五条一項所定の「収支報告書」に該当せず、虚偽記入罪の客体ではないから、被告人に同条項を適用して有罪とすることはできない、すなわち、<1>Dを会計責任者とする本件政治団体の設立届は、同人がその就任を受諾する前にされた無効なものであり、その届出後に同人が追認しただけでは、右設立届及びその受理に関する公法上の瑕疵が治癒されるものではない、<2>Dは、本件収支報告書の内容の決定及び作成に全く関与しておらず、また、本件収支報告書添付の宣誓書は、その収支報告書の真実性を確保する趣旨からして、会計責任者が自署・押印しなければならないにもかかわらず、これを欠いている、<3>同法上は、「会計責任者」か否かの二者択一であるにもかかわらず、原判決は、「名義上の会計責任者」なる造語をし、独自の構成要件を作出している、というのである。

そこで、検討すると、まず、<1>及び<2>については、関係証拠によれば、平成五年九月九日、本件政治団体の設立届が選挙管理委員会に提出された時点において、Dがその会計責任者への就任を受諾していなかったことは所論指摘のとおりであるが、同委員会は、右設立届に対する必要な審査を経た上、これを受理したものであり、しかも、Dは、右設立届から四日後の同月一三日には、右会計責任者への就任を追認しているのであるから、その時点で、本件政治団体の設立届及びその告示の各会計責任者に関する部分は、いずれも実体に即したものとなっているのである。また、所論指摘の宣誓書中会計責任者氏名欄の記載がD自身の手によるものでないことは証拠上明らかであるが、原判決が「争点に対する判断」の項の一で指摘する、Dの会計責任者としての自覚、実質的な会計実務担当者らとの会計処理及び収支報告書の作成に関する相談状況、宣誓書の記名・押印等を含めた本件収支報告書の作成及び提出に対する承諾状況等については、関係証拠により、いずれもこれを認めることができ、これら諸事情に照らせば、右宣誓書の氏名欄の記載は、Dの暗黙の了解に基づくものということができる。したがって、被告人に対する本件犯行の成否を論ずる上においては、Dを会計責任者とする本件収支報告書を旧政治資金規正法一二条一項所定の書面というに妨げないというべきである。

また、<3>については、原判決が、「争点に対する判断」の項の一において、Dは、平素本件政治団体の会計実務には全く関与していなかったが、その会計責任者を引き受けるに当たり、会計責任者としての義務と責任を自覚の上これに就任するに至った旨説示していることからすると、原判決は、Dが同法上の「会計責任者」であることはこれを認めながら、その実働を欠いていたため、「名義上の会計責任者」と表現したに過ぎず、独自の構成要件を定めたものでないことは判文上明らかである。

以上のとおり、所論はいずれも失当である。

その他、所論にかんがみ、記録を精査検討しても、原判決に法令の解釈適用の誤りはない。論旨は理由がない。

五  控訴趣意中、量刑不当の主張について

論旨は、被告人を禁錮八月・執行猶予三年に処した原判決の量刑は、政治資金規正法上極めて重要な地位にあった本件政治団体代表者E及び同会計責任者Dが不起訴になったことに比すると、重過ぎて不当である、というのである。

しかしながら、記録を調査して検討しても、原判決には所論のような量刑不当はなく、原判決が「量刑の理由」の項で説示するところは、いずれも正当として是認できる。

すなわち、本件は、東大阪市役所市長公室秘書課長であった被告人が、現職市長を支持、支援する本件政治団体の寄附収入の中から領収書の取れない支払をするとともに、多額の寄附金が集まった事実を秘匿し、以後の運動資金として備蓄するため、その幹部及び同市役所上司と共謀の上、選挙管理委員会に提出する本件政治団体の平成五年分の収支報告書に、実際の寄附収入五四六九万円余を二九九三万円に圧縮して虚偽記入した事案であるが、本件犯行の動機、目的、罪質、態様、秘匿額、被告人の果たした役割、殊に、被告人は、政治的中立性と清廉性を求められる公務員でありながら、本件収支報告書への虚偽記入の実行行為を担当したほか、本件政治団体の設立届等の書類作成、口座開設、口座への入出金等の事務処理に専属的に関わっていたもので、所論指摘の共犯者らが、本件政治団体の代表者等の肩書を有するとはいえ、実質的な会計事務に関与していなかったことに比し、重要な役割を果たしたものであること、本件犯行の地域社会に対する影響、反省の情に欠けることなどを考慮すると、犯情は良くなく、被告人の刑事責任は軽視することができない。

そうすると、被告人に前科前歴がないこと、既に公職を辞したこと、共犯者らとの処分の均衡、その他被告人の年齢、健康状態、家庭の事情等所論指摘の諸点を含め、被告人のために酌むべき諸事情を十分考慮しても、原判決の量刑が重過ぎて不当であるとはいえない。論旨は理由がない。

よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 宮嶋英世 裁判官 中川隆司 裁判官 遠藤和正)

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